ふう..............
通勤電車の中で、コツコツと、書きためていたネタを、ブログポスト第2弾に使おうと、思い立ちまして、長いですが、ここでご披露しようかと。
では、私の暑苦しいほどのミュージカル熱を感じ取って頂ければと思います。
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日本では上演されていない為、一般には知られていないものの、既に日本でも演劇関係者、俳優達、演劇ファンが「よく知らないけど凄い作品らしい事は何度も聞いてるから見たい!」という声が上がっている作品がある。
アメリカでは演劇に全く興味が無い層までチケットを求め、現在は当然ソールドアウト、芸能人ですらなかなかチケットが取れない。転売サイトに$500-$800で出しても買い手が付く。
オバマ大統領も観劇し大絶賛、今や「生きているうちに見れるといいな」というジョークにすらされているミュージカル、それがヒップホップミュージカル「ハミルトン」。
そして、ハミルトンの脚本を書き、作詞、作曲、主演までしたのが若き天才、リン・マニュエル・ミランダ。現在36歳で既にピューリッツァー賞、2つのグラミー賞、3つのトニー賞、エミー賞を獲っている。日本ではマイナーな賞も含めたらもう書ききれない。
まずは、リン・マニュエルの父親の話をしよう。父親はプエルト・リコからの移民で、大学を18歳までに終え、アメリカのニューヨーク大学の博士課程に入学。インタビューによると、なんと英語が話せないまま、博士課程の勉強に入ったという。これはかなり大変な話で、米国の名門大学の博士課程というのは、ネイティヴスピーカーでも大変なのに...きっとアメリカへ大志を抱いて乗り込んだのだろうと思う。
そんな父親の大志ambitionを受け継いだリン・マニュエル。彼の才能は10代からかなり突出していた。
私がペンシルバニア州の大学でミュージカルを専攻していた時に、「凄いミュージカルが開幕する。」という噂は既に聞こえて来ていた。リン・マニュエル・ミランダの最初の作品「イン・ザ・ハイツ」がブロードウェイに進出すると決まった時だった。彼が大学2年在学中(わずか19歳)の時に最初の下書きを書きおえた作品で、私もミュージカル科学生全員、教授、講師達と「研修行事」の一部としてニューヨークまでその「イン・ザ・ハイツ」を観に行った。ハイツとはマンハッタンの中でもヒスパニック系移民の多いワシントン・ハイツの事で、リン・マニュエル本人が育ったエリア。当時私は在米3年目で英語が分からない箇所が多々あったが、凄まじいエネルギーと歌やダンスの斬新さに、大学生がこんなものを創れるなんて、と心底驚嘆したのを覚えている。ラップだけでなく、ラテンミュージックや、ブロードウェイ・スタイルの作曲もレベルが高い上、主演までこなせる。リン・マニュエル本人のウスナビはあまりにリアルでエネルギーに溢れ、私はその2年半後にもう一度ペンシルバニアから片道5時間バスに乗って観に行き、さらにその1年後には憧れの「ハイツ」、つまりワシントン・ハイツに住んでいた。
その天才が、イン・ザ・ハイツも開幕して時間もでき、28歳になった2008年の7月、メキシコにバケーションに行く時に読もうと手に取った本がアレキサンダー・ハミルトンの伝記だったという(かーなーり分厚い本)。2章目を読了後直ぐに「誰か過去にこの伝記をミュージカルにした人が既にいるんじゃないか⁈」とグーグルし、「なんでこんな凄い実話が今まで舞台化されてないんだ?!」と思ったとインタビューで語っていた。
ハミルトンはアメリカの10ドル紙幣に描かれている人物で、アメリカ建国の父の一人。その生涯は、リン・マニュエルの父親が抱いた「大志」を思い出させたと言う。
13歳で孤児になったハミルトンは、働き始めた商店でビジネスの才能を開花、4年後には店主の代わりに店を任され、22歳で店主や親戚からの補助を得て、大学に進学、行政学、政治学を学び、多数の本を読み漁り、論文でも才能を発揮、ただの貧しい苦学生だったハミルトンは、わずか21歳でニューヨーク植民地砲兵中隊を指揮する大尉に任命され、翌年にはジョージワシントン総司令官の副官に任命された。
リン・マニュエルはミュージカル「ハミルトン」の製作に取り掛かり、ホワイトハウスの「詩と音楽の夕べ」というイベントに招待され、その時点で唯一書きあがっていたオープニングナンバーを持って行き、「今、実は建国の父、ハミルトンの生涯をテーマにした作品を書いています。これはまだ冒頭の一部ですが、これを全曲、フルアルバムに仕上げようと思っています。」とオバマ大統領の前で披露した。オバマ大統領と鑑賞していた他の観客もみんな「この調子で全編作るって本気だろうか?」という顔をして笑っていた。
この時の動画がネット上で話題になり、リン・マニュエルの披露したラップが凄いとすぐに評判になった。
言ってみれば、NHK大河ドラマのストーリーをラップでたった一人、マイクとピアノで巧みに表現する20代の超エネルギッシュなパフォーマーが現れた、みたいな感じだろうか。しかもそこに現代の問題もうまくはめ込み、ただの歴史の話ではなく観客が強く共感できるようになっている。気持ち良く韻を踏んだ言葉の並べ方、リズム、ディクション(発音)、ラップに不思議なほど自然に入り込んでくるメロディ、シンプルなフィンガースナップの音。全てが計算され尽くしていて、パフォーマンスも完璧だった。この冒頭の衝撃が、ミュージカル全曲分、歌い通しで最後まで続けられるものなのか?....続くんです、最後までこの調子で、時々、美しいメロディーを挟みながら、それぞれの曲が絡み合ったりしながら続くんです!
あれよあれよと、6年半後(彼はこの間にも他作のミュージカルに出演したりテレビに出たり曲提供したりと他の仕事もたくさんしている。)全46曲のミュージカルに仕上がった。もちろん、お得意のジョークも豊富に入っていて、「イマドキ」ネタが突如現れたりするのが面白い。
8年後にはトライアウト公演が行われ、その後オフ・ブロードウェイ公演が行われ、まだブロードウェイに行く前から「トニー賞を総なめにするに違いない」と話題になった。
レントが発表された時も話題になったが、ハミルトンはレントとは比べものにならないレベルの注目度だ。
当然の様にブロードウェイに進出、史上最多の16部門にノミネートされ(トニー賞は全部で13部門だが、1部門にハミルトンの俳優が複数ノミネートされた為、全部で18部門となる。)結果11部門で受賞した。
と、熱く語っている私は、実はまだハミルトンを見れていない。チケットが取れないのだ。
しかし、オタクなので、様々なところから届く映像やフル音源を見、聞き続けているうちにハイライトの部分は把握してしまった。
リン・マニュエル本人も言っていた。「僕は子供の頃、ミュージカルを観に行くなんて特別な事で、数年に一度しか観に行けなかったから、良く家にあるキャストアルバムを聞いて、想像を巡らせていた。だから、ハミルトンをまだ見れていない人も、同じように自分なりのハミルトンを想像しながら、キャストアルバムを聞いてほしい。」と。
私も、観たこともないのに、その斬新さとエネルギー、迫力、言葉の力、巧妙なストーリーライン、絶妙なところで入ってくる、テレビのニュースで「まるでデスティニーチャイルドを聞いているかのような」と評された女性3人のナンバー、見事なラップ、史実を分かりやすく、面白く綴る歌詞に釘付けで、歴史の勉強にもなっている。我がアメリカ人の夫からすると、自分の知っている史実が見事に「イマドキ風」の歌になって綴られているので、ミュージカルに興味のない人でも「これは面白い!」と思うのだと言う。
日本人で英語がわからなくてちょっと付いていけない、という場合は、先に日本語でハミルトンの生涯を予習し、歌詞をグーグルして読んで見ると分かるかもしれない。キャストアルバムの英語はかなりくっきりハッキリしており、中上級者であれば聞き取りも、ちょいとテンポが早いだけで、そこまで難しくはない。だって、ほら、RENTだって相当難しいよ!でも、レントヘッズの皆さんは、今じゃなんとなく聞き取れるでしょ?
ちなみに、私の友人はタクシーの運転手に「「ハミルトン」って知ってる?ラジオとか、車内で客ともよく話題になるけど、実は俺、あんまりよく知らないんだよ」と言われ、「そりゃ、聞いてみないと!」と言って車内で携帯につなぎ、キャストアルバムを聞かせたら、その歌詞を聞いて、「これは!これは、全部聞かないと今日は眠れないな!ありがとう、君を乗せてよかった!」と結局アルバムを購入したそうだ。
最近よくある既存の映画や、アニメをミュージカルにした作品や、アイドルや芸能人を主役に起用した作品、イギリスからの輸入作品に飽き飽きしていた観客はハミルトンの独創性に感動し驚嘆した。
「これが新時代のアメリカン・ミュージカルだ!」と。
リン・マニュエル・ミランダは天才だろう。
そして、こころからミュージカルを愛し、楽しんで作っているのが分かる。
そして、こころからミュージカルを愛し、楽しんで作っているのが分かる。
本当に、吐き気がする程うまい。
今度はリン・マニュエルがディズニー作品を生まれ変わらせてくれるらしい。
モアナの楽曲提供に続いて、メリー・ポピンズのリメイク版、そして、リトルマーメイドの実写版、と、彼の才能、センスがどう生かされるのか、期待せずにはいられない。
ミュージカルが大好きなプエルト・リコ系移民の少年が、わずか30年足らずでアメリカのミュージカル界の歴史を塗り替えるクリエイターになった。そんなオリジナリティ溢れるクリエイターが、今度は既存の作品を元に、どんな世界観を見せてくれるのか、目が離せない!
引用元・参考映像
引用元・参考映像
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